Medici提供 動画シリーズ。
マスチック編、完結です。
アトリエ・ラポルトのブログに投稿された、明治時代の画材販売カタログを参照しながらメギルプと高橋由一の関係について思いを巡らせます。
動画中で参照している記事はこちら↓
Atelier LA PORTE Blog 日本で作られた最初の油絵具
高橋由一のメモ書きにメギルプの文字があったという話は以前どこかで聞いたものですが、メギルプが紹介された同時代のカタログの発見は、由一が使用した可能性の裏付けとして有力なものかも知れません。
加えてこのカタログの発行主である村田宗清(おそらく屋号)を経営する村田保七は、高橋由一に油絵具の製造について訊ね、国産油絵具製造に挑んだとの事ですから両者は深い交流があったものとみて間違いないでしょう。
ここからは動画と関係ない話になりますが、サクラクレパスによりますと村田保七による国産油絵具の製造は失敗に終わったという記録もあり、大正時代に村田宗清が国産油絵具を製造・販売したとは断言できない模様。
サクラコラム | 株式会社サクラクレパス 「日本の油絵具発達史(前編)」より引用
東京・日本橋には「日本絵具開祖村田宗清」という絵具問屋があり、油絵具や水彩絵具、画材などを販売していました。その「日本絵具開祖村田宗清」を営む村田保七が天絵学舎を訪ねて高橋由一らに西洋の絵具の製法を聞き、明治8年頃から油絵具の製造を試み、明治12年には国産油絵具を販売したという記録があります。しかし、この村田宗清に関しては、国産油絵具の製造を試みたが失敗に終わったという記録もあり、真偽のほどは定かではありません。
その後大正に入り長崎春蔵が国産油絵具の製造販売に着手する事となるのですが、現在もなお続く春蔵絵具が確定的な史実としては日本で最初の油絵具製造会社と言って良いでしょう。
春蔵絵具については当ブログでも度々触れておりますが、現社長からは私もいろいろと絵具についての情報を頂くなどお世話になっているところです。
話をマスチックに戻しますと、動画後半でも触れています「どのようにしてマスチック樹脂が採取されているのか」についてはYoutubeにいろんな動画があって大変参考になります。
採取法には様々あるのでしょうが、木の下にはそこら辺で採れる石灰岩を撒き、傷をつけた樹皮から滴るマスチック樹脂が土とくっつかない様にしてるんですね。
シリコンシートなんか使えばその後の不純物除去や洗浄作業の効率が上がりそうな気もしますけど、未だにこの方法でやられてるんでしょうか。